何に遇ったのか それによってその人生は決定する
―梯 實圓『一味 755号』
法語の意味
私たちは日々、さまざまな物事や人との出会いによって影響を受けています。親鸞聖人のお言葉にも「遇いがたくして今遇うことを得たり」とあるように、私たちの人生の中で「何に出会うか」が、実は自分の生き方や価値観を大きく左右しているのです。
仏教でいう「法(教え)」との出会い、あるいは人との出会いが自分の道を決定づけることも少なくありません。「何に遇ったのか それによってその人生は決定する」という法語は、まさに「これから先の人生がどう方向づけられるかは、どのようなみ教えやご縁をいただくかによって変わってくるのだ」という真実を教えてくださっています。
副住職のお話
梅雨の季節が近づき、しとしとと降る雨の中でゆっくりと季節が移ろっていくのを感じます。新緑が鮮やかな5月を過ぎ、6月に入ると、環境や気候の変化にあわせて私たちの心も落ち着きを失ったり、気分が沈んでしまうこともあるのではないでしょうか。そんなとき、改めて「何に遇ったのか それによってその人生は決定する」という法語をかみしめてみたいと思います。
人生にはさまざまな転機や分岐点があります。たとえば、学校の進路や就職先の選択、あるいは大切な人との出会いや別れ。そのひとつひとつが、私たちの生き方を決めていきます。しかし、実はそれ以上に大きな出会いがあります。それが阿弥陀さまの教え、すなわちお念仏の道との出会いではないでしょうか。どんなにつらく苦しい状況にいても、「南無阿弥陀仏」と称えることで、私たちが一人きりの存在ではないという安心を得ることができます。この「仏さまとの出会い」が、私たちの人生をさらに豊かなものへと開いていくのです。
日常の中で、「この人に出会わなければ、今の私はいない」、「あの本やあの言葉との出会いがあったから、心が救われた」という経験はないでしょうか。日々を慌ただしく過ごしていると、そうした大切な出会いを「たまたま」、「偶然」と片づけてしまいがちです。しかし、仏教の教えをいただいて振り返ってみると、その出会いは必然ともいえる多くの縁が重なって生まれていることに気づかされます。
たとえば、「名前も覚えていなかった人からの些細な一言で大きく視野が広がった」、「家族とのちょっとした会話が、将来を決めるヒントになった」ということもあるでしょう。いずれも、その出会いがきっかけで私たちの気持ちや行動が変化し、人生が新たな方向へ動き出す。それが「何に遇ったのか それによってその人生は決定する」という言葉の真意と言えます。
さらに、その最も根本にある出会いが「仏さまの教え」との出会いなのだと知らされるとき、私たちは「どんな苦難があっても、阿弥陀さまは私を見放さない」という確信を得られます。お念仏との出会いが自分の人生を大きく決定づけてくれる、そう感じられるとき、私たちは生きていく力を新たにいただくことができるのです。
おわりに
「何に遇ったのか それによってその人生は決定する」という今月の法語は、私たちが偶然と思っているあらゆるご縁が、実は人生を形づくる重要な「出会い」となり得ることを示唆しています。とりわけ、阿弥陀さまのみ教えとの出会いは、それがどんなに小さい気づきや細やかなきっかけであっても、私たちの歩む道を力強く照らしてくださるでしょう。
どうかこの6月も、お寺に足をお運びいただき、お念仏のご縁をともに味わいながら、「私がいま、何に出会っているのか」を見つめ直すひとときを持っていただければと思います。皆様のご参詣を心よりお待ち申し上げております。
※ この「今月の法語」は毎月更新いたします。