はじめに
浄土真宗で重視される阿弥陀仏の48願は、阿弥陀仏がまだ菩薩(法蔵菩薩)だった頃に立てた、あらゆる衆生を救済するための誓いをまとめたものです。
その中でも特に有名なのが、念仏者を必ず救うと誓った第十八願ですが、「三願転入(さんがんてんにゅう)」という言葉は、この48願の修行過程においてどのように法蔵菩薩が願を完成させたかを示す重要な概念です。
本記事では、三願転入の意味と背景を紐解きながら、阿弥陀仏の48願がいかに修行され、完成されたかを解説します。
1. 阿弥陀仏の48願とは?
浄土真宗の根本経典である『無量寿経』では、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩と呼ばれていた時代に、48の誓願を立てたと説かれます。
それらの願は衆生の救済を目的としており、すべての人が安楽浄土に往生できる道を開くことを誓ったものです。
- 四十八願の代表例:
- 第十八願(念仏を称える者を必ず救う)
- 第十九願(発菩提心して諸善を修める者を救う)
- 第二十願(厭離穢土・欣求浄土の行者を救う)
- 阿弥陀仏の「無量光」「無量寿」:
- この48願を成就したことで、阿弥陀仏は光と寿命が無限という象徴を得た。
2. 三願転入とは何か?
「三願転入(さんがんてんにゅう)」という言葉は、法蔵菩薩が48願を完成させる過程で、第十九願・第二十願・第十八願へと願が“転じて”いった、もしくは修行の焦点が変遷していったことを表しています。
- 第十九願:菩提心を起こして諸善を修める
- 初めは、**自力的**な修行(善行)を積む者を救おうとする意向が強く示される。
- 第二十願:信心を確立し、浄土を願う
- 諸善を修める過程で、**他力への気づき**が深まり、**阿弥陀仏の浄土**を求める心(欣求浄土)が強調される。
- 第十八願:念仏を称える者を必ず救う
- 最終的に、**念仏一行**こそが衆生を普遍的に救う究極の願として完成される。
これが専修念仏の基盤となる。
- 最終的に、**念仏一行**こそが衆生を普遍的に救う究極の願として完成される。
3. 法蔵菩薩の修行プロセスと三願転入
三願転入は、法蔵菩薩がどのような順番で48願を修め、最終的に第十八願が核心となったかを示す物語的解釈ともいえます。
つまり、自力修行や諸善を積む段階を経て、他力による念仏救済へと“転じる”流れを表しているのです。
- 自力から他力への変遷:
- 初めは「諸善の行者を救う」という**第十九願**(自力色)や**第二十願**を重視していたが、最終的に**専修念仏**の第十八願こそ中心となった。
- 普遍救済への到達:
- 専修念仏は、**善行が多いか少ないか**を問わず、**念仏を称える者すべて**を救う普遍性を持つ。
これが三願転入の結論として普遍救済が示された理由。
- 専修念仏は、**善行が多いか少ないか**を問わず、**念仏を称える者すべて**を救う普遍性を持つ。
4. 浄土真宗での三願転入の意義
浄土真宗では、第十八願こそが阿弥陀仏の本願の中心とされ、悪人正機や他力本願の要として位置づけられます。
三願転入の物語は、自力の修行から他力の念仏へと至る道筋を象徴するものです。
- 専修念仏と悪人正機:
- 善悪問わず誰でも念仏を称えれば往生するという第十八願の発想は、浄土真宗の**悪人正機説**に直結。
- 自力を捨てる大切さ:
- 自分の善行で救われようとする段階(十九・二十願)を経て、最終的には念仏一本(第十八願)に辿り着くというストーリーが、**自力から他力へ**の変容を伝える。
5. まとめ
三願転入は、阿弥陀仏の48願がどのような段階を経て完成されたかを示す物語的な解釈であり、最終的に**念仏一行**(第十八願)が普遍的救済をもたらす結論に至るプロセスです。
– **第十九願**(諸善を修める行者を救う)から**第二十願**(菩提心と浄土求める行者)を経て、**第十八願**(念仏称えるすべての者を救う)へと転じる。
– これにより、自力修行や善行を問わず、**他力本願**によって往生が成り立つ道が開かれる。
三願転入の理解は、自力から他力へという浄土真宗の根本思想を物語的に把握する上で、大きな手がかりとなるのです。
参考資料
- 『無量寿経』における法蔵菩薩の48願
- 親鸞聖人の『教行信証』や法然上人の『選択本願念仏集』における三願転入の言及
- 浄土真宗における第十八願(念仏往生)の中心的意義についての解説書
- 浄土真宗本願寺派 公式サイト
- 真宗大谷派(東本願寺) 公式サイト