はじめに
介護と看取りは、家族にとって多くの困難と心の葛藤を伴う大きなテーマです。私自身、祖母が長いあいだ闘病生活を続けるなかで、家族として介護に関わる日々を送ることになりました。その過程で「念仏」が私たちの心をどれほど支え、祖母自身の精神的な安定に寄与したかを実感しました。今回は、祖母の介護と最期を看取る中で、私がどのように念仏の力を感じたのか、その体験を共有したいと思います。
1. 祖母の介護が始まったころ
1-1. 発端と戸惑い
祖母は長年、軽い糖尿病や高血圧などを抱えながらも、自立した生活を続けてきました。ところがあるとき、足腰が弱り寝たきりに近い状態となり、在宅介護が必要になったのです。家族で交代しながら食事や排泄の介助をするようになりましたが、最初は勝手がわからず戸惑うことばかりでした。
祖母自身も「自分が家族の負担になっているのではないか」と心配し、時々涙をこぼす姿を見て、どう励ませばいいのか私も悩む日々でした。
1-2. 家族のストレスと衝突
在宅介護が続くにつれ、家族内でストレスが溜まり、小さな衝突が増えるようになりました。母は仕事と介護の両立に疲れ、父は祖母への声かけがどうしても厳しくなりがちで、私は自分の生活リズムが乱れていくのにイライラ…。そんなとき、ふと「念仏」や「浄土真宗」の教えに立ち返ることが、私たちの心を落ち着かせるきっかけになるとは、その時点では思いもしませんでした。
2. 祖母自身が示した念仏の姿
2-1. ベッドの上で「南無阿弥陀仏」を称える祖母
祖母は若い頃から浄土真宗を信仰しており、強い信心を持っていました。寝たきりに近い状況になっても、ベッドの上で「南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…」と、静かに称えていることがありました。
当初は「そんな体調で唱えて何か変わるのか」と疑問に思いましたが、祖母にとっては念仏が心の支えになっていたのです。「阿弥陀様がいつも一緒にいてくださる」という安心感が、辛いリハビリや痛みに対する耐える力を生んでいるように見えました。
2-2. 看取りへの不安と祖母の言葉
介護が長引くにつれ、医師から「状態が安定しないまま、最悪の事態を覚悟してほしい」と言われ、家族は益々不安を募らせました。そんな中、祖母自身が「大丈夫、大丈夫。阿弥陀様が迎えに来てくださるんやろ?」と穏やかに語る姿が印象的でした。
「自分はいつか往生する」という意識を、恐怖ではなく受容として捉え、逆に私たちを励ますような口調だったのです。私たち家族はその言葉を聞いて、悲しみや不安が少しやわらぐのを感じました。これが「他力本願」の安心感なのかもしれないと、後になって思います。
3. 最期のときと家族の連帯
3-1. 看取りの瞬間にあふれた念仏
ある夜、祖母の容態が急変し、呼吸が弱くなっていきました。家族全員が集まる中で、私たちは自然と声を出して「南無阿弥陀仏」と称えるようになりました。普段は口数の少ない父や、半信半疑だった私まで、一斉に念仏を唱えている光景は、不思議と心が一つになっている感覚を生みました。
そして、祖母は静かに息を引き取りました。泣き崩れる私たちを尻目に、「ちゃんと往生できたよ」と語っているような安らかな表情が、まるで阿弥陀仏の慈悲に抱かれたように見えたのです。
3-2. 家族が共有したやすらぎ
看取りの場面は辛さもありましたが、あのとき皆で念仏を唱えたことで、強い連帯感と安堵を覚えました。「南無阿弥陀仏」という声が、私たちの心を強く結びつけ、亡き祖母とも繋がっているかのような実感があったのです。
葬儀の後、母が「阿弥陀様がちゃんと迎えに来てくださったんだね」と涙ながらに言ったとき、私もそれを素直に信じられる気がしました。それまで宗教を半ば客観的に見ていた私が、ここで初めて「自分も救われている」という感覚を抱いたのかもしれません。
4. 介護と看取りから学んだ念仏の力
4-1. 自力だけじゃない安心感
祖母の介護にあたっては、「頑張らなきゃ」「自分たちだけで支えなきゃ」という思いが強かったため、家族全員が心身ともに疲弊していました。しかし実際には、「念仏」や「他力本願」という考え方が、私たちに大きな安心感を与えてくれました。自分の力だけで支えきれない部分を、阿弥陀仏に委ねられるという発想は、まさに介護現場でも有効だったのです。
4-2. 悪人正機に見る弱さの肯定
また、私自身が煩悩を抱えた「弱い人間」であることを認めることで、無理をし過ぎず、周りにも助けを求める素直さが生まれたと感じます。悪人正機とは、「自分は善人でなければならない」という傲慢を捨て去ることで、阿弥陀仏の慈悲に目覚める道ですが、介護の現場でも「完璧に面倒を見るのは無理なんだ」という自覚から在宅サービスやヘルパーの支援をうまく活用できたのは、この教えに助けられたと言っても過言ではありません。
5. まとめ
祖母の介護と看取りは、家族にとって大きな試練でしたが、その過程で念仏の力を強く実感し、浄土真宗の教えが生活の中でいかに活きるかを学べた大切な体験となりました。
「自力だけで頑張らなくても良い」「煩悩を抱える弱い自分でも、阿弥陀仏の慈悲に支えられている」という認識は、ストレスや不安を軽減し、家族全員に安らぎと一体感をもたらしました。
この体験を通じて、介護や看取りという厳しい状況であっても、念仏が心を支え、深い絆を再確認するきっかけになるのだと強く感じます。もし同じように介護や看取りで悩んでいる方がいれば、「南無阿弥陀仏」と称えてみることで、心が少しでも軽くなるかもしれません。
【参考文献・おすすめ書籍】
- 親鸞聖人 著 『教行信証』(各種現代語訳)
- 歎異抄: 岩波文庫版ほか多数
- 介護サポート関連:地域包括支援センターや在宅サービスの利用ガイド