西本願寺と東本願寺に見る仏像の違い

目次

はじめに

浄土真宗では、阿弥陀如来を本尊とする寺院が多く、その代表格が西本願寺(浄土真宗本願寺派)東本願寺(真宗大谷派)です。両寺院は同じ親鸞聖人の教えを受け継いでいるものの、歴史的な経緯や美術的な特徴の違いから、本堂に安置される仏像の作風や細部の表現には微妙な差が見られます。
本記事では、京都の二大本山として知られる西本願寺東本願寺に安置されている仏像に注目し、その違いや背景を探ってみます。どちらも阿弥陀如来の大いなる慈悲を示す存在ですが、宗派の歴史や本堂の建築・荘厳が仏像にどう反映されているのかを知ると、より興味深く見学・参拝できるはずです。

1. 西本願寺と東本願寺:分裂の歴史的背景

まず、両寺院が分かれている理由として、本願寺の分裂が挙げられます。
– **本願寺派(西本願寺)**:豊臣秀吉の頃から歴史的に続く本願寺の正統とされる一派。
– **真宗大谷派(東本願寺)**:江戸時代初期に本願寺が分裂し、東西二派に分かれたのが直接のきっかけ。
これに伴い、本尊の作風荘厳具の意匠などがそれぞれの方針で固められ、今日に至るまで微妙な違いを保ち続けています。

2. 西本願寺の仏像:金箔を多用した荘厳

**西本願寺(お西)**の本堂や阿弥陀堂には、金色の光を強調する装飾が目立ちます。
– **阿弥陀如来像**は金箔が多用され、金色のまばゆい光背(こうはい)とともに設置されている。
– 内部の唐門や欄間(らんま)などにも**豪華な彫刻**が施され、**金箔**で荘厳されている部分が多い。
これは、西本願寺が歴代の権力者(豊臣氏や徳川氏)との関係で寄進を受けたり、芸術的な装飾を積極的に取り入れる余地があったことに起因すると言われます。

3. 東本願寺の仏像:やや落ち着いた色合い

一方で、**東本願寺(お東)**の阿弥陀如来像は、金箔こそ使われているものの、西本願寺に比べると若干落ち着いた印象を受けることがあります。
– **阿弥陀如来の表情**が穏やかで、金箔は使用されていても華美に偏らないよう配慮されている。
– **御影堂(親鸞聖人の御影を安置する堂)**も含め、木目漆塗りの部分を生かしたシックな美しさが目立つ。
これには、東本願寺が江戸時代以降に**再建と修築**を繰り返す中で、**質実を重んじた空気**を反映しているという見方もあります。

4. 本尊の印相や姿勢に大きな違いはない?

浄土真宗の本尊は基本的に阿弥陀如来像(もしくは名号)であり、大きく見れば印相(手の形)や立ち姿・坐像など、基本的な形態は共通する部分が多いです。例えば、

  • 来迎印を結ぶ阿弥陀如来像
  • 定印を結ぶ坐像

いずれも「衆生を迎え入れる」という意図があり、西・東本願寺いずれでも大きくは変わりません。ただし、衣のひだの彫り光背の形など、細部の意匠に微妙な差が見られます。この差は**制作時期**や仏師の流派によっても左右されるため、一概に「西はこう、東はこう」と決めるのは難しいところです。

5. 見どころ:彫刻と装飾のディテール

西本願寺・東本願寺それぞれの仏像を拝観するときは、以下の点に注目すると違いや背景がより感じ取れるでしょう:

  • 衣のひだや皺の表現:唐木や漆の表面にどのような彫りが入っているか。躍動感や穏やかさなどが異なる。
  • 金箔の使い方:金箔が全面的に貼られているか、部分的に控えめに使われているか。
  • 光背(こうはい)の形:宝珠型円形、放射状の光線が描かれるかなどの違い。
  • 台座:蓮華の台座の造形や、木目の出し方・漆塗りの質感。

こうした美術的ディテールは、単なる装飾ではなく、**阿弥陀仏の本願をどう表すか**という宗教心の現われとも言えます。

6. 両本願寺の仏像を味わう意義

西と東で美術様式が違っていても、いずれも阿弥陀如来の慈悲を示す尊い象徴という点は共通です。見学や参拝の際には、ただ美術品として見るだけでなく、

  • **「阿弥陀仏の光が私にも注がれている」**と意識しながら拝む
  • **歴史的背景**(戦国時代の混乱や江戸時代の再建など)を頭に入れて、造形の変遷を理解する
  • **「なぜこういう装飾や色使いになったのか」**、寺院の当時の状況(経済力・政治力)を考える

などの視点を持つと、「ただ念仏」の教えがどのように芸術へと昇華されてきたかが一層興味深く感じられるでしょう。

まとめ

**西本願寺(お西)**と**東本願寺(お東)**の仏像は、同じく阿弥陀如来を本尊としながら、歴史的経緯寺院ごとの美術的方針制作者の流派などの違いによって意匠装飾に微妙な差が生じています。
ただ、その根本にあるのは**「阿弥陀仏が衆生を救う」という大いなる本願**であり、美術的な差異は**「どのように阿弥陀仏の光を表すか」**という表現の幅の中で成立しているのです。
両本山を訪れて仏像を拝観するときは、造形上の差を楽しむだけでなく、「阿弥陀如来の慈悲をどう具現化しようとしているのか?」を感じ取る視点を持つと、浄土真宗の信仰世界がより深く見えてくることでしょう。

参考資料

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