はじめに
家族や親戚が久しぶりに一堂に会するきっかけの一つに法事があります。普段は遠方に住んでいたり、仕事や生活に追われてなかなか顔を合わせることのない親戚とも、誰かの年忌法要を機に再会することが少なくありません。今回、私も祖父の三回忌法要で久々に親戚が集まり、思いがけない会話と気づきを得る機会となりました。法要の準備や式中だけでなく、その後の会食や雑談を通じて改めて「家族とは、そして法事とは何か」を考えさせられたのです。本稿では、その体験を通じて感じたことをまとめてみたいと思います。
1. 法事当日までの準備と期待
1-1. 会場の準備と「どうせ集まるなら…」の声
祖父の三回忌法要は、地元のお寺で執り行うことに決まり、式後には近くの料亭で会食を行う予定でした。法要を控えた数週間前から母と伯母が連絡を取り合い、「どうせ親戚が集まるなら、少しゆっくり話がしたいね」という声が上がりました。
普段なかなか会えない従兄弟や叔父・叔母にも声をかけ、法事が終わった後、会食の時間を少し長めに設けようということになったのです。私自身も、祖父の思い出話をする機会になればいいなと、どこか楽しみにしていました。
1-2. 遠方からの親戚や子どもたち
今回は遠方在住の親戚も含めて、15名ほどが集まることになりました。小学生や中学生の子どもたちを連れてくる従兄弟もいて、「法事に子どもを連れて行って退屈しないかな?」という心配もありましたが、子どもたちは強く拒否することもなく、ある意味で“年に一度の大きな家族行事”として楽しみに感じていたようです。
2. 法要の最中に感じた家族の絆
2-1. お坊さんの法話と祖父の思い出
法要当日は、地元のお寺に予定よりも少し早めに集まり、みんなでお勤め(読経)に参加しました。浄土真宗のお坊さんが短い法話をしてくださり、祖父が生前どんな思いで念仏を称えていたのか、家族や地域にどう貢献してきたのかを語ってくれました。
「阿弥陀仏のご縁があって、皆さんがこうして集まるんですね」という言葉を聞いたとき、普段バラバラに生活している私たちが、この日は故人を思い出すために揃うことの不思議さ、そしてありがたさを感じました。
2-2. 子どもたちの意外な参加態度
「子どもが退屈しないかな」という懸念がありましたが、意外にも甥や姪は静かに座っていて、読経にも何となく興味を持っていたようです。従兄弟の娘(小学生)が「これって何を言ってるの?」と素朴に尋ねてきたので、簡単に「おじいちゃんや私たちを救ってくださる阿弥陀仏に感謝する言葉なんだよ」と答えると、満更でもない表情をしていました。
こうした子どもの質問がきっかけで、大人が仏教や法要の意味を再確認する場面が何度かあり、家族内でも小さな対話が生まれました。
3. 会食での会話と気づき
3-1. 懐かしい思い出話に花が咲く
法要終了後、近くの料亭で予約してあった部屋に移動し、会食が始まりました。ここからが、いわば「久々に親戚が集まったときのメインイベント」とでも言うべき時間。
最初は「最近どうしてる?」「仕事は順調か?」といった近況報告でしたが、話が進むにつれ、自然と「祖父が生前どんな言葉を残していたか」とか「あのとき孫がまだ小さくて○○しちゃったよね」といった懐かしい思い出話があちこちで飛び交いました。お互い笑い合ったり、しみじみしたりするうちに、家族の絆が再確認されるような感覚を得ました。
3-2. お寺や仏教への関心の共有
意外な展開だったのは、「最近、あまりお寺に行かなくなったけど、ちょっと行ってみようかな」とか「葬儀の形をどうするか考えてる」など、仏教や宗教行事への関心の話題が結構出てきたことです。
ある伯父は、「忙しくて法要に参加できず悪かったなと思っていた」と打ち明け、従兄弟の一人は「自分も家に仏壇を置こうか悩んでる」と言い始めました。こうして、法事という契機がきっかけで、家族が普段しない深い話題を共有できるのは、大きな意味があると感じました。
4. 衝突やギスギスを避けるコツ
4-1. 事前のコミュニケーション
実は、法事を計画するときに日程や会場、費用分担などでトラブルが起きることも少なくありません。私たちの家でも、過去には「誰がメインで費用を出すのか」といった問題が出ましたが、今回は法事の計画を早めに立てて、LINEグループやメールで連絡を取り合い、みんなが納得する形を整えました。
お坊さんの予定や会食の予約もスムーズになり、当日に大きな混乱が起きずに済んだのは大きなプラスでした。
4-2. 法事の主目的を忘れない
「法事の主目的は何か」と考えると、それは故人をしのび、縁ある人が集まって手を合わせることであって、派手にすることや形式ばかりにこだわることではありません。そこで家族間の意見が合わない場合でも、「みんなで祖父をしのぶ」という共通のゴールを再認識することで、自然と意見がまとまりやすくなると体感しました。
特に浄土真宗では、「阿弥陀仏の前で私たちが救われている」という視点があり、互いに不満をぶつけ合うよりも、やはり「南無阿弥陀仏」の念仏に立ち返る時間を持つと、むやみに衝突せずに落ち着くことが多かったです。
5. まとめ
「法事で久々に親戚が集まったときの会話と気づき」として、私が得た最大の学びは、「法事は単なる儀式ではなく、家族が再会し、お互いを理解し合う貴重な場である」ということです。
人間関係が希薄になりがちな現代では、冠婚葬祭が唯一の集まりの機会という家族も少なくありません。そんなとき、法事がきっかけで共通の思い出を分かち合い、仏教の教えについて話したり、これからの家族の在り方を考えたりする時間を持てるのは、とてもありがたいことだと思います。
もし「法事なんて面倒」と思う人がいたら、一度こうした家族のコミュニケーションの場と捉えてみると、意外な発見や絆を再確認できるかもしれません。
【参考文献・おすすめ書籍】
- 浄土真宗本願寺派・真宗大谷派などの法事案内パンフレット
- 親鸞聖人 著 『教行信証』(教義理解に)
- (PHP研究所)
- 各寺院の法話会や行事参加など