はじめに
「報恩講」と聞いて、すぐにイメージが湧く方は少ないかもしれません。これは浄土真宗において、宗祖である親鸞聖人の御命日に因んだ法要で、いわば浄土真宗最大の年中行事ともいえるものです。私も以前は「報恩講ってどんなことをするの?」「他の法要とどう違うの?」と疑問に思っていましたが、このたび初めて報恩講に参加する機会を得ました。今回はその体験を通じて感じたこと、学んだことを皆さんにシェアしてみます。
1. 報恩講とは何か
1-1. 親鸞聖人への感謝を捧げる法要
報恩講は、親鸞聖人(1173~1263)の御命日である「11月28日(旧暦)」前後に営まれる年間行事の一つで、「聖人のご遺徳を偲び、その教えに感謝する」ことが大きな目的とされています。寺院や地域によって開催時期は多少異なるものの、浄土真宗の寺院やご門徒の家庭では、この法要を特に重視し、通常よりも盛大に行われることが多いです。
私が参加したのは、近所のお寺で開かれた報恩講。いつもは落ち着いた雰囲気の本堂が、カラフルな飾りと提灯で少し華やかな印象になっており、「何か特別な行事があるんだ」という期待感が湧いてきました。
1-2. 「恩」を報いる—感謝の念仏
報恩講の「報恩」という言葉には、「恩に報いる」という意味が込められています。親鸞聖人が示してくださった「他力本願」「悪人正機」などの教えによって、多くの人が念仏を称え、阿弥陀仏の慈悲に触れることができている――その“恩”に感謝を捧げるのが報恩講なのです。
つまり、この法要は単に「聖人の命日を偲ぶ」だけでなく、「自分が救われていること」への感謝を念仏で表現する場として、大きな意味を持ちます。
2. 初めての報恩講体験:当日の流れ
2-1. 本堂の荘厳と受付
当日、本堂に足を踏み入れると、普段よりも華やかな荘厳が施されていました。お花や提灯、色とりどりのお華束などが並べられ、さらに本尊である「阿弥陀如来の掛け軸」の周りが一段と輝いて見えました。
入口で受付を済ませると、住職や門徒総代が出迎えてくださり、「初めてですか?」と声をかけられました。初参列と伝えると、「ぜひ一緒にお勤めを体験してみてくださいね」と温かく案内してくださいました。
2-2. お勤め(読経)と念仏
報恩講の法要では、正信偈や和讃をはじめとする浄土真宗特有のお勤め(読経)が行われます。私も隣の席の方に経本を見せてもらいながら、住職の声に合わせて懸命に声を出し、「南無阿弥陀仏」を合唱してみました。
初めての体験だったので正直戸惑う部分もありましたが、周りの皆さんが気持ちよく一緒に声を出しているのを感じると、不思議と心が落ち着いていくのを覚えています。とくに念仏の合唱の場面では、自分も他の参列者も阿弥陀仏に向かっているという一体感を味わいました。
2-3. 法話と親鸞聖人の教え
お勤めの後、住職の法話がありました。テーマは「親鸞聖人が示す悪人正機とは」というもので、法然上人との出会いから自らが“悪人”であることを深く自覚し、そのうえで「他力本願」に目覚めた経緯が中心に語られました。
「善人が救われるなら、悪人はなおさら救われる」という逆説的な論理は、私の中で「仏教って自分の努力で悟りを開くものではないの?」というイメージを覆すものでしたが、同時に深い安堵感をも得られるものでした。
3. 報恩講後のイベントと交流
3-1. 茶話会・お斎(おとき)
私が参加した報恩講では、法要後にお斎(おとき)と呼ばれる食事の時間が設けられていました。コロナ禍など状況によっては中止の場合もあると聞きますが、今回は簡易的な茶話会形式でした。
数種類の精進料理や和菓子が振る舞われ、初めて会う門徒の方とも仏教談義や雑談で盛り上がりました。「なぜ念仏すると安心するのか」「ご先祖や親鸞聖人への思い」など、それまで知らない世界だった話が次々に飛び出し、非常に興味深かったです。
3-2. 初参加でも温かく迎えられる雰囲気
正直、初めてで緊張していましたが、門徒や住職の方々が皆さん温かく声をかけてくださり、すぐになじめました。報恩講は年に一度の大きな行事なので、普段あまりお寺に来ない人でも参加しやすく、お寺コミュニティに触れる絶好の機会と言えるでしょう。私もその日に「また来年もぜひ参加してくださいね」と言われ、「これから少し浄土真宗のことを深く学んでみようかな」という気持ちになりました。
4. 報恩講から得た気づき
4-1. 親鸞聖人への感謝と現代への繋がり
報恩講は単なる先人を偲ぶ儀式ではなく、親鸞聖人の教えが今の自分にどう影響しているかを感じ取る場だと分かりました。念仏によって救われる道を開いてくれた親鸞聖人への感謝、その教えを受け継いでいる自分への気づきが、現代の私たちの生活にも大いに通じるものがあると実感しました。
4-2. 共に念仏を称える仲間がいる喜び
「南無阿弥陀仏」と皆で合唱するとき、一体感と安心感が生まれることに大きな衝撃を受けました。個人的に、自宅で称える念仏も大切ですが、こうして複数の人々が同じ思いで声を合わせると、さらに力強いものになると感じます。これは報恩講ならではの光景かもしれません。
5. まとめ
今回初めて報恩講に参加してみて、浄土真宗の世界が想像以上に身近で、かつ深みのあるものだと思いました。特に、阿弥陀仏への感謝を表しつつ、自分が救われている事実を改めて認識するというプロセスは、現代社会の中で自分を見失いがちな私たちにも大きなヒントを与えてくれます。
もしまだ報恩講に参加したことがない方がいれば、ぜひお近くのお寺の開催情報を確認して、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。念仏を通じて、「自分はひとりではない」という安らぎに触れられるかもしれません。
【参考文献・おすすめ書籍】
- 浄土真宗本願寺派・真宗大谷派の公式サイト:報恩講の案内
- 親鸞聖人 著 『教行信証』(各種現代語訳)
- 各寺院で配布される『報恩講のしおり』など