はじめに
近年、「葬儀の簡素化」や「家族葬」という言葉をよく耳にするようになりました。社会全体のライフスタイルや価値観が多様化する中で、従来のように大々的な式典を行わず、親族やごく近い人だけで見送るケースが増えているのです。しかし、いざ実際に葬儀を簡素化しようとしたとき、家族の中で意見の食い違いが生じたり、感情的な対立が起こったりすることは珍しくありません。
私の家でも、祖父の葬儀を「簡素にしたい」という意見と「伝統的な形を守りたい」という意見がぶつかり、家族の雰囲気がギスギスしてしまった経験があります。最終的にどのように折り合いをつけ、何を学んだのか――本稿では、その衝突から乗り越えた体験をお話しします。
1. 「簡素な葬儀」の提案がもたらした波紋
1-1. 祖父の遺志と家族の意向
祖父は生前、「自分の葬儀は盛大にしなくていい。家族葬で十分だ」と口癖のように言っていました。高齢になり、葬儀費用や親戚への気遣いをあまり負担にしたくなかったようで、「お金もかけず、シンプルでいい」と強調していたのです。
しかし、いざ祖父が亡くなると、父や叔父らは「ある程度きちんとした式をしないと親戚に失礼だ」「昔からの慣習を大切にすべきでは?」と主張し、母や私をはじめ一部の親族は「祖父の遺志を尊重して、小規模でやろう」と言い出し、家族会議の場で意見が対立しました。
1-2. 地域の風習との兼ね合い
私たちの住む地域では、昔から近隣住民や町内会が葬儀を手伝いに来てくれるという風習があり、そこに大きな価値を置く人も少なくありません。父や叔父は「周りの人も来るだろうし、突然『家族だけでやる』と言ったら角が立つんじゃないか」と心配していました。この地域コミュニティでの人間関係を壊したくないという思いもあり、簡素化には難色を示していたのです。
2. 家族の衝突が激化する
2-1. 感情的な言い合いが増える
葬儀のやり方をめぐって話し合うたびに、「祖父が望んでいたことを無視するのか」と母が主張し、逆に父や叔父は「近所付き合いをどう考えているんだ」「安上がりで済ませるなんて祖父を軽んじているように見える」と強い口調になり、互いの声が荒れる場面も出てきました。
私も途中から「やっぱり祖父の希望を優先するべきでは?」という気持ちが強く、父たちとの話し合いがうまくいかず、家の中が重たい空気に包まれる日々が続いたのです。
2-2. 時間だけが過ぎていくストレス
何度も家族会議を開いても結論が出ず、疲弊してしまう状況が続きました。葬祭業者に連絡するタイミングも延び延びになり、結果的に切羽詰まっていくストレスが増大。
祖父を亡くして悲しいはずなのに、葬儀をどうするかで家族が衝突するのは本当に心苦しく、「一体何が正解なのか」という思いばかりが募りました。
3. 乗り越えのきっかけ:仏教の視点とコミュニケーション
3-1. 僧侶の一言で場が変わった
最終的に私たちが問題を乗り越えられたのは、お寺の住職が言ってくれた一言が大きかったです。父が昔からお世話になっている浄土真宗のお寺の住職に相談したところ、「葬儀は、残された人々が故人をどう思い、どう送り出すかが大切。盛大にするか家族葬にするかは二の次だ」と言われました。
これで父や叔父も、「形式ばかりにとらわれるより、祖父の思いや家族の気持ちをまず尊重しよう」という方向に考えが変わり始めたのです。
3-2. 家族全員で念仏を称える時間
また、住職が提案したのは、「みんなで念仏を称える時間を少し持ってみませんか」ということでした。私たちは葬儀の形式のことばかりに目を向け、肝心の「亡くなった祖父を送り出す」という心の部分に気を払っていなかった気がします。
その晩、家族全員で仏壇の前に集まり、「南無阿弥陀仏」と唱えるほんの5分ほどの時間を過ごしました。不思議と、冷え切っていた空気が和らぎ、みな少し涙ぐんでいたのが印象的でした。翌日からの話し合いは、驚くほどスムーズに進んだのです。
4. 実際に行った葬儀の形とメリット
4-1. 小規模な式+地域への配慮
結果的には、私たちは「家族葬」に近い形をとりつつ、近隣住民や親戚には「参列は自由に、無理に来なくても大丈夫」というスタンスで案内しました。
式自体は小規模でしたが、地元の人が焼香に立ち寄ってくれたり、住職の法話を聞いて「形よりも気持ちが大切だね」と言ってもらえる場面もあり、父も「意外とこれで良かった」と納得してくれました。
4-2. 費用と負担の軽減
簡素化したことで費用や人手の負担が軽減されたのも事実です。大掛かりな飾りや会場を用意せず、自宅葬または小さな葬儀場を借りただけにとどめ、当日の準備も比較的シンプルでした。これによって強いストレスを避け、家族が穏やかに祖父を見送る時間を確保できたのは大きなメリットでした。
5. まとめ
「葬儀の簡素化で家族が衝突… 乗り越えた体験」を振り返ると、以下のような学びがありました。
- 葬儀の形式をめぐる意見の対立は多いが、故人の思いや家族の気持ちを再確認することで意外と解決の糸口が見つかる
- 僧侶や仏教の教え(念仏など)に触れることで、家族の意識が“形式”から“心”へとシフトしやすくなる
- 簡素化した葬儀でも「敬意」と「感謝」は十分に伝えられる。形ばかりの盛大さが必ずしも必要というわけではない
現代では、家庭の状況や地域コミュニティのあり方も変化しており、葬儀の形も多様化しています。しかし、一番大切なのは「亡くなった人をどう思い、残された人がどうやって連帯を深めるか」だと改めて感じます。たとえ家族間で衝突があっても、仏教の教えに耳を傾け、念仏や法話などに助けを求めることで、意外とすんなりと道が開けることもあるかもしれません。
【参考文献・おすすめ書籍】
- 著
- 浄土真宗本願寺派・真宗大谷派などの葬儀案内パンフレット
- 葬祭業者のガイドブック:家族葬・簡素化葬儀プランの紹介
- 親鸞聖人 著 『教行信証』 各種現代語訳