諸行往生と専修念仏の対比

目次

はじめに

浄土教や浄土真宗において、「諸行往生」「専修念仏」は阿弥陀仏の救いを得るための二つの道としてしばしば対比されます。
一般的な仏教の修行では、多様な善行や功徳を積む「諸行」によって悟りや来世の幸福を目指す考え方がありました。一方、「専修念仏」は念仏一つをひたすら称えることで阿弥陀仏の浄土に往生するという浄土教独特のアプローチです。
本記事では、諸行往生専修念仏が何を意味し、浄土真宗でどのように捉えられているのかを解説します。

1. 諸行往生とは?

「諸行往生(しょぎょうおうじょう)」とは、仏教で説かれる多様な善行や修行法(座禅、読経、布施、持戒など)を通じて功徳を積み、その功徳を阿弥陀仏の浄土への往生に回向する考え方を指します。

  • 多方面の修行
    • 六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)など、さまざまな善行を行い、功徳を積む
  • 功徳の回向
    • 「この修行の功徳を、自分が浄土に往生できるように回向します」という発想で、自力的な要素が強い。

2. 専修念仏とは?

一方、「専修念仏」は「念仏一筋で往生を願う」という浄土教の特徴的な修行法です。
法然や親鸞の流れをくむ浄土真宗では、特に「南無阿弥陀仏」の念仏を唯一の行とする考え方が確立されました。

  • 念仏一行
    • 「南無阿弥陀仏」をただ称えることで往生を遂げる。
      他の善行や修行は必要としない(あえて排斥するわけではないが、念仏こそが肝要)。
  • 他力本願
    • 「自分が善行を積む」よりも、阿弥陀仏の本願力によって往生が確定すると考えるため、他力の救いを強調。

3. 諸行往生と専修念仏の対比

この二つの往生の道を比較すると、以下のような特徴が浮かび上がります。

項目 諸行往生 専修念仏
往生方法 多様な修行・善行の功徳を回向する 念仏(南無阿弥陀仏)を唱える
自力/他力 自力色が強い 他力を強調
修行内容 六波羅蜜、読経、慈善など多岐 念仏一行(ただ称える)
浄土真宗での位置 必ずしも否定されないが、核心ではない 教義の中核(悪人正機、他力本願)

4. 親鸞聖人の評価:なぜ専修念仏が重視されるか

親鸞聖人は、悪人正機の思想を打ち立て、「煩悩を抱える凡夫こそ阿弥陀仏の本願に救われる」と説きました。
この考え方からは、「善行を積む」という発想ではなく、「念仏を称えることで往生が決定する」という専修念仏が導かれます。

  • 自分の善行には限界がある
    • いくら善行を積もうとも、煩悩を根絶するのは困難。そのため、**自力の行**では悟りに至るのは極めて難しい。
  • 他力本願に身を委ねる
    • 念仏を称えることが**阿弥陀仏の救い**を受け入れる形となり、**修行の段階**を飛び越えて往生が確定(横超)するとする。

5. 現代における意義:善行と念仏のバランス

では、諸行往生を否定し、専修念仏のみが良いというわけではないのでしょうか? 実際のところ、浄土真宗でも日常の善行は大切にされますが、それが往生の決定打にはならないと説かれます。

  • 善行は否定されない
    • 他者への慈悲や社会貢献など、**良い行い**は尊ばれます。ただし、それらは「往生のための手段」ではなく、**救われた喜びの表現**と位置づけられる。
  • 念仏こそ往生を確定する道
    • 「自力」ではなく、**他力**の念仏によって、**煩悩を抱える凡夫**でも仏になる道が開けると強調される。

6. まとめ

諸行往生は多様な善行・修行を通じて往生を願う道であり、専修念仏は念仏一行を通じて往生を確信する道です。

  • 諸行往生:自力色が強く、さまざまな善行を積む。
  • 専修念仏:他力を強調し、念仏を称えることで往生が決定。

浄土真宗では、専修念仏が阿弥陀仏の本願を最もよく表す行として重視され、自力での善行に頼るのではなく、「南無阿弥陀仏」の念仏によって救いが完成すると説かれます。
これを理解することで、私たちは**煩悩**を抱えながらも安心して阿弥陀仏に身を委ねる生き方を選ぶことができるのです。

参考資料

  • 親鸞聖人の『教行信証』における自力と他力、諸行往生と専修念仏の対比
  • 法然上人の『選択本願念仏集』での専修念仏の強調
  • 浄土真宗の他力本願に関する解説書・入門書
  • 浄土真宗本願寺派公式サイト
  • 真宗大谷派(東本願寺)公式サイト
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