浄土真宗は、鎌倉時代の承元元年(1207)に親鸞聖人によって明らかにされた仏教の一派です。インドに始まり、中国を経て日本に伝えられた仏教の長い歴史の中で、すべての人々の救いを願う教えとして、大切に受け継がれてきました。
教えの源流
浄土の教えは、はるか昔のインドで龍樹(りゅうじゅ)菩薩によって説き明かされました。龍樹菩薩は、誰もが実践できる易行としての念仏の教えを広められました。
その教えは、やがて中国へと伝わります。曇鸞(どんらん)大師、道綽(どうしゃく)禅師、善導(ぜんどう)大師といった高僧によって、浄土教として体系づけられていきました。特に善導大師は、念仏の教えを広く伝え、後の日本の浄土教に大きな影響を与えられました。
日本への伝来
日本では、聖徳太子が仏教を受け入れ、国の政治の柱として重んじられました。時代とともに、様々な宗派の仏教が伝わり広まっていきます。
鎌倉時代になると、法然上人が浄土宗を開かれ、「専修念仏」の教えを説かれました。それまでの仏教は、どちらかといえば学問のある人や、修行を重ねた人のためのものでした。しかし法然上人は、誰もが実践できる念仏の教えを広められたのです。
親鸞聖人と浄土真宗
この法然上人のもとで学ばれた親鸞聖人は、さらに深く念仏の教えを明らかにされました。
聖人は、自身の体験を通して「他力本願」の教えに目覚められます。それは、自分の力で悟りを得ようとするのではなく、阿弥陀如来様のお慈悲によって救われるという教えでした。
その後、越後への流罪や関東での生活を通じて、多くの人々と出会われた聖人は、このみ教えをより広く、より深く説かれていきました。
教えの広がり
親鸞聖人の御往生後、真宗の教えは次第に広がりを見せ、各地に道場が建てられていきました。門弟たちは、聖人から聞いた教えを大切に守り、伝えていきました。
特に室町時代、蓮如上人の時代には、教団は大きく発展します。上人は、当時の人々に分かりやすい言葉で教えを説かれ、多くの人々の心に響く御文章を残されました。
本願寺の確立
この流れの中で、本願寺も親鸞聖人の御影堂(ごえいどう:肖像画を安置する建物)として建立されました。特に八代宗主の蓮如上人の時代には、現在の浄土真宗本願寺派の基礎が築かれ、全国に広がる寺院の礎となりました。
現代に生きる教え
明治時代以降、本願寺は近代化の波の中でも、親鸞聖人の教えを大切に守り継いできました。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は、今なお多くの人々の心の支えとなっています。それは、時代や社会が変わっても、人々の救いを願う阿弥陀如来様のお心は変わることがないからです。
浄土真宗の歴史は、親鸞聖人の教えを中心に、時代とともに歩みながら、人々の救いを願い続けてきた歩みといえます。その教えは、今日も変わることなく、私たちの心に語りかけています。
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